~現代に通用する二宮尊徳の教えを研究する~
突然、二宮金次郎で有名な二宮尊徳の話が出て驚く方もいらっしゃると思いますが、実は、二宮尊徳の生き様に現代社会へのメッセージを乗せたオペラに関わることになりました。
二宮尊徳といえば、薪を背負って書を読んでいる「二宮金次郎像」が有名ですが、具体的に何をした人物なのか詳しく答えられる方は少ないのではないでしょうか。
相模国は小田原藩の栢山(かやま)村で富農の家に生まれた金次郎ですが、近くにある酒匂(さかわ)川の堤防決壊によって金次郎の運命は急変します。大半の田畑は濁流にのまれ、父・利右衛門の病気も重なり二宮家は次第に没落。その後、長く床に臥せっていた父は病死。貧農にまで落ちぶれてしまいます。それだけでも十分、悲劇なのですが、その上さらに、母・よしを失い、追い打ちをかけるように酒匂川が再度、氾濫。まさに悪夢と悲劇が絵に描いたように連続で金次郎一家を襲います。最終的に、弟たちとも離れ離れとなり一家は離散してしまいました。
そのような、およそ常人には耐えられないような逆境においても、金次郎は決して諦めることはありませんでした。類まれな勤勉さや知恵と工夫をもとに二宮家だけでなく600以上ともいわれる荒れ果てた農村を再興したと言われています。そこに、地味かもしれませんが現代まで多くの人を惹きつける感動と魅力を感じます。
実際に、報徳仕法と呼ばれる二宮尊徳の教えは現代社会にも十分通じる改革の思想だと言われています。「至誠」「勤労」「分度」「推譲」「積小為大」「一円融合」。渋沢栄一や豊田佐吉、土光敏夫や稲盛和夫といった財界の大物をも惹きつける教え。これらは現代の政治の分野にも十分通づるものがあるのではないでしょうか。その教えをこれから追い求めていきたいと思います。(つづく)



Comments
“二宮尊徳(金次郎)の研究(その1)” への6件のフィードバック
[…] 9月8日に、二宮金次郎の聖地である小田原を巡る旅を企画し、30名ほどに参加いただきました。小田原は相模湾に面し、箱根山系の山々に囲まれた風光明媚な場所で、北条氏が築いた小田原城が歴史と文化を象徴しています。二宮金次郎はこの小田原の栢山村で生まれ育ちました。 […]
[…] 二宮金次郎はこう言いました。「ある藩の方で、偉い地位にあった時、私は礼儀正しく謙虚であるように勧めたけれど、聞き入れませんでした。その後、その人は結局仕事を辞めさせられ、今ではとても困っていて、今日を生きるのも大変です。 その人は、藩が大変な時に功績をあげたのに、今はこんなに困っているのです。それは、偉くなった時に自分の立場をわきまえずに振る舞ったからです。偉い立場にいる時は、礼儀正しく謙虚であるべきで、仕事を辞めた後に遊んだり贅沢をしても問題ありません。そうすれば誰もその人を悪く言わず、妬むこともありません。 仕事を頑張って、休む時はしっかり休むのが良いのです。偉い立場にいる時に遊びすぎて、仕事を辞めた後に節約するのは、昼間に休んで夜に働くようなものです。偉い立場にいる時に遊びすぎると、誰もがその人を妬むでしょう。そんな人が長く安定していられるわけがありません。だから、その人が辞めさせられたのは当然で、不幸なことではないのです。(一部抜粋・意訳:おぜき重太郎) […]
[…] 二宮尊徳翁はこう言いました。 世の人々は「運」というものを誤解している。例えば、柿や梨などを籠から取り出すとき、自然に上になるものもあれば、下になるものもある。上を向くものもあれば、下を向くものもある。これを「運」だと思っている。しかし、運というものがこのようなものであれば、頼りにならない。なぜなら、人の努力によって成るものではなく、偶然によるものだからだ。再び籠に入れて取り出すと、前とは違う結果になるだろう。これは博打のようなもので、運とは異なる。 […]
[…] 2024年は、物価高騰により、市民生活が非常に圧迫された一年でした。10月に衆議院選挙があり、「手取りを増やす」といったキャッチフレーズが国民の心を捉えたことは記憶に新しいです。 二宮金次郎が民の生活について、どのように考えていたのか興味を持ち調べていましたが 金次郎先生が「重んずべきは民の米櫃だ」と喝破していることに、なにより重みを感じています。 まずはしっかりと食べて、普段通りの生活を送ることができる。これが何より大切なのは言うまでもありません。民の負担を軽減し、働いた分だけ米櫃が満たされる報われる社会を今の政治は目指して行くべきと思います。 […]
[…] ご来場の皆さまと二宮金次郎の教えを共有・共感できたことを嬉しく思っています。ご来場いただいた皆様には心から感謝です。町田でもやってほしいとの声もいただきました。実現できるように、協力を惜しまず頑張りたいと思います! […]
[…] 世の中には、たくさんの書籍がありますが、人々に大きな影響をもたらしたにもかかわらず、いつのまにか埋もれてしまった名著というものがあります。明治の文豪、幸田露伴が著した“二宮尊徳翁”もその一つだと感じています。 “二宮尊徳翁”は、二宮金次郎を尊敬していた幸田露伴が、少年少女向けに書いた二宮金次郎の伝記です。この本は、多くの日本人が二宮金次郎の存在を知り、共通のイメージを持つきっかけをつくりました。なお、日本中の小学校に設置されている二宮金次郎像は、この本に描かれた、狩野派の小林永興のイラストがモチーフになったといわれています。 […]