シリーズ 人生に役立つ二宮金次郎の教え (その15)
陰徳あれば必ず陽報あり:二宮翁夜話 巻の5-233より
二宮尊徳翁はこう言いました。
「昔、中国の伝説の皇帝である、堯帝(ぎょうてい)は国を深く愛し、苦労して国家を治めていました。ところが、国民は『井戸を掘って水を飲み、田を耕して食べる。これは自分の力であり、皇帝の力によるものだとは思えない』と歌いました。しかし、堯帝はこのことを聞いて大いに喜んだのです。普通の人ならば、「恩を知らない」と怒るところですが、この『帝の力によるものではない』といった歌を聞いて喜んだのは、この堯帝が優れている所以(ゆえん)です。
私(二宮金次郎)の教えも、この堯帝が国を治めるために苦労して発見した偉大な教えの一部と言えます。だから、私の教えに従って、苦労して努力し、国や村を興し、困窮を救うことがあっても、村人は『二宮金次郎の教えの力によるものとは思えない』と歌うはずです。その時にこれを聞いて喜ぶ者でなければ、私の仲間ではありません。慎みなさい、慎みなさい」(一部抜粋・意訳:おぜき重太郎)
重太郎:この教えですが、僕は「陰徳」という言葉が頭に思い浮かびました。陰徳とは、人に知られることなく行う善行であり、外部の評価や見返りを求めないものです。陰徳あれば必ず陽報あり
…由来は淮南子の人間訓の一節です。ひそかに善い事を行なえば、後日必ずよい報いを受けます。江戸時代では、この陰徳の考えのもと、大商人たちが困窮者を救済していたそうです。
ともすれば、人は「自分が、自分が」と言ってしまいがちですが、金次郎先生はそれを慎みなさいと戒めているのだと思います。人を見る時は、優劣をつけない。上も下もない。魂を見るようにして何の見返りも求めない。こういった姿勢で社会貢献活動することは人間として大変尊い振る舞いだと思います。来年もこの教えを忘れず勤めたいと思いますので、よろしくお願いいたします。
(町声レポート2024年12月号 執筆者:おぜき重太郎)