シリーズ 人生に役立つ二宮金次郎の教え(その18)
中庸(ちゅうよう)の教えと今を精一杯生きることの大切さ
中庸とは、ちょっと難しい言葉ですが偏りや過不足のない状態のことです。二宮金次郎はこの中庸の教えをとても大切にしていました。中庸を説明するには水車のたとえが有名です。水車は、水より上にあっても水に沈んでいても回りません。これを、社会や人(自分)にあてはめてみると、人には欲があり、欲を無くすためには出家してお坊さんになるしかないです。しかし、これでは社会は回りません。そうかといって、私利私欲ばかり追求しても、これまた社会は上手く回りません。水車が回るのは中庸の状態だからであり、欲を制し、義務を果たすこと、そして、自分のことばかり考えるのではなく周りも見渡すことが重要だと二宮金次郎は教えているのです。
極端な主張やオレオレ的な生き方は人の目を引きますが、私は生きるうえで中庸の精神を大切にしたいと思います。偏りや過不足のない状態を保ち、極端に走らず、調和を大切にしたいと思っています。そして更に一つ、中庸に付け加えたいことが最近、増えました。それは「今を精一杯生きることの大切さ」です。
先日、町田市シャンソン文化協会の会長である斗南良子さんが、フェスティバル ドゥ シャンソン2025 プリスリーズに出演されるとのことで、国際フォーラムへ応援に行って参りました。シャンソンとはフランスの歌謡曲のことですが、そこで斗南さんが熱唱されたのは「生きる」という曲でした。歳を重ね、病気になっても、かけがえのない友を失っても、今を精一杯生きるんだ、という生きる尊さを歌った曲でした。斗南さん自身もご病気をされ、立ち直り、きっとご自分を曲に重ね合わせ、いまを懸命に生きようとしているのだろうと、その熱唱に私の心が揺り動かされたのでした。


それ以来、私は中庸の精神に加えて、今を精一杯生きることの尊さを痛感したのです。さまざまなご縁で知り合った皆さまのことを大切に思い、今を精一杯生きながら、偏りや過不足のなく水車が回っていくような人生を目指したいと思います。
(町声レポート2025年3月号より 執筆者:おぜき重太郎)

