福島第二原子力発電所を視察
~東京維新の会は福島県富岡町を復興支援(その2)~
先月号(2023年12月号)では、東京維新の会が2023年12月27日、身を切る改革の一環として地方議員の議員報酬から集めた300万円を福島県富岡町に寄附したことをお伝えしました。東日本大震災からの復興、そして福島第一原子力発電所の事故及び事故処理に起因する風評被害払拭を支援するためです。
富岡町役場では寄付の目録を山本育男町長にお渡ししました。その後、バスで富岡町内の復興状況を確認し、富岡町と楢葉町に立地している福島第二原子力発電所を見学して参りました。今月は福島第二原子力発電所の状況についてご報告致します。
~東日本大震災、実は福島第二原発も危機一髪だった~
早いもので東日本大震災から13年が経過しようとしています。東日本大震災と言えば福島の原発事故を思い浮かべる方も多いかと思います。福島第一原発では、炉心損傷、そして水素爆発といった過酷事故(シビアアクシデント)が発生したため、日本国民の大半は福島の原発事故について何らかの情報を得ている(知っている)と思います。
一方で福島第二原発はどうでしょうか。実状をほとんど知らない方が多いのではないでしょうか。今回訪問したのは福島第二原発でした。訪問した理由は、復興支援を申し出た福島県富岡町の復興状況を知る上で同町に所在している福島第二原発を見ておくことに意義があると感じたからです。
実は、福島第一と第二は距離として10㎞ほどしか離れていません。福島第一と同様に津波により大きな被害を受けた施設でもあります。しかし、同じような沸騰水型軽水炉がある原子力発電所でも、福島第二原発は炉心損傷せず原子炉の冷温停止を達成しました。福島第一とは異なる意味で、後世への教訓をもつ施設と言えると思います。
~大きな津波被害、外部電源が1回線 生きていた!~
今から約13年前の2011年3月11日、大地震によって発生した津波は、道路を遡って海抜12mにある福島第二原発の主要建屋設置エリアを浸水しました。その結果、多くの非常用ディーゼル発電機が使用不能になってしまいました。
しかし幸いだったのは、4回線あった外部電源(発電所の外から送電線を通って送られてくる電気)が1回線生き残っていたことです。まずは、この電源を使って原子炉内のポンプを動かすことにより、冷却水を循環させて原子炉を冷やすことができました。この点が福島第一と大きく異なる点です。
一方で、福島第二原発は別の形で大きな危機を迎えました。外部電源を使って循環させている冷却水ですが、この冷却水で原子炉の熱を逃がすことが出来ないと、次第に温まった蒸気が格納容器の圧力を上昇させてしまい、最終的に格納容器が破損してしまいます。本来、海水を介して熱を外に逃がす除熱機能があるのですが、海水ポンプの大半が津波で浸水し使用不能となってしまいました。
実はこの時、格納容器を守るために、放射性物質を含む格納容器内の蒸気を外に逃す“格納容器ベント”の実施も検討されていたそうです。ベントが実施されれば放射性物質が屋外に放出されてしまう、まさに危機的状況でした。
~仮設電源ケーブル布設と海水ポンプ交換で危機脱出!~
この時も命綱となったのは生き残った1回線の外部電源でした。発災からわずか2日で、使用不能となった海水ポンプを緊急調達して交換。そして総延長約9㎞もの仮設電源ケーブルを布設し、外部電源とつないで海水ポンプを駆動。格納容器内の熱を海水に逃がしました。総勢200名の所員、協力会社の社員の力を結集し対応したとのことです。このことにより除熱機能の復旧は成功し、格納容器ベントは実施されず、冷温停止を達成することができました。福島第二原発が炉心損傷も水素爆発といった過酷事故(シビアアクシデント)にもならなかった裏側には、こういった現場の奮闘がありました。