東京維新の会は「身を切る改革」実行中!   

~福島県富岡町に復興・風評被害払拭支援!寄附金300万円贈呈~

 東京維新の会では、地方議員から議員報酬20%~5%相当額(報酬額により変化)を集め被災地の寄附等に充てることを公約としてお約束してます。いわゆる“身を切る改革”の一環としての活動です。

その”身を切る改革”を実行するため、2023年12月27日、東京維新の会の有志メンバーは福島県富岡町役場を訪問し、寄附金300万円の目録をお渡ししました。

福島県富岡町の位置

 目録贈呈式の後は、富岡町内や福島第二原発の視察をさせて頂きましたので、今月・来月2回に分けて福島県富岡町の様子をご報告させて頂きます。

おぜき重太郎

重太郎:私たちは議員報酬や特別職の報酬カットを訴えています。東京の維新は少数勢力で報酬カットの公約を実現できないため、実現するまでは報酬カット分を被災地等に寄付する取り組みをしています。

~富岡町役場で山本育男町長に目録を贈呈。地元紙の取材も~

 富岡町役場で執り行われた目録贈呈式には、山本育男富岡町長および髙野剛、竹原信也副町長が出席。東京維新の会からは13名の所属議員が出席しました。山本町長はじめ職員の皆様からは、東日本大震災からの復興状況そして除染作業や避難指示解除の状況について説明を頂きました。特に農業に関して、新規就農者への支援策についてや、震災の教訓から海抜が低い場所は農業を行う用地にしたこと。食物への風評被害を鑑みて観賞用のバラの栽培を新たに始めたこと。また放射線を吸収しにくい玉ねぎの栽培を集中的に行うようにしたことなど様々な工夫についてお話を頂きました。
目録贈呈式では“福島民友新聞”から取材があり記事となりました。重太郎は前列左から二人目です。

目録贈呈式では“福島民友新聞”から取材があり記事となりました。重太郎は前列左から二人目です。

~東日本大震災のことは決して忘れない。とみおかアーカイブミュージアムを見学~

 目録贈呈式の後は震災伝承施設である“とみおかアーカイブミュージアム”も見学しました。二人の警察官が命を懸けて町民の避難誘導にあたり、津波にのみこまれてしまった被災パトカー双葉31号の実物展示(乗っていたお二人は亡くなり、そのうち1名のご遺体は未だ見つかっていません)をはじめ、大震災と原発事故によって“あたりまえの日常”が突然奪われてしまったことの悲しみや将来への教訓を臨場感もって伝えるミュージアムでした。大震災のことを知らない世代が増えてきています、将来の世代にぜひ一度は見て頂きたい施設です。
被災パトカー双葉31号の実物。津波が押し寄せる中でも避難を呼びかけていた姿を思うと目頭が熱くなりました。

被災パトカー双葉31号の実物。津波が押し寄せる中でも避難を呼びかけていた姿を思うと目頭が熱くなりました。

~いまだ厳しい復興状況。帰還困難区域が解除された地域を視察~

 とみおかアーカイブミュージアムを見学後は、バスで富岡町の町内を案内して頂きました。町民の生活を支える物品の購入については、富岡町が建物を用意し、スーパー、ドラッグストア、ホームセンターなどを誘致した“公設民営”でした。この手法については買物空白地区がある町田市も研究が必要だと感じました。

また、未だに住民が帰ってこれない帰還困難区域付近もご案内頂きました。現在帰還困難地域は4.6㎢、町全体の約7%(229世帯)とのことです。2023年11月から集会所・墓地・アクセス道路については立ち入りが可能になりましたが、実際に入ってみると、当然ですが除染業者の方しかいない状況であり、傷んだ民家が閑散と点在していました。一刻も早い除染完了、そして避難指示解除を求める声があがっており、高齢の避難者からは「生きているうちに戻りたい」との切実な声が届いているとのことです。短い時間でしたが復興道半ばの状況をしっかりと目に焼き付けて来ました。

おぜき重太郎
重太郎:一方で避難指示が解除された地域では、既存の施設を生かした新たなまちづくりが進んでいます。産業団地整備と企業誘致については、初期投資を安く補助率も高いことから、24区画のうち22区画が埋まったとのことでした。移住支援にも積極的に取り組み、駅前には新築のアパート・戸建てが建ち、新規住民も増えているとのことです。
帰宅困難区域を示す看板と設置されたバリケード。富岡町には住み慣れた地域に入ることが出来ない区域が未だ残されている現実があります。

帰還困難区域を示す看板と設置されたバリケード。富岡町には住み慣れた地域に入ることが出来ない区域が未だ残されている現実があります。

(会報2023年12月号より 執筆者:おぜき重太郎)