【能登半島地震】輪島市の災害ボランティアに参加~改めて、大きな被害だった能登半島地震~

 今年2024年1月1日に、能登半島地震が発生したことは記憶に新しいところです。元日早々に最大震度7という大地震が発災し、甚大な被害をもたらしたことは、国民に大きなインパクトを与えました。

石川県の情報によると、(7月18日現在)299名の方が亡くなり、建物の全壊は8,001棟に達しています。ところが、その内、輪島市だけで130名の方が亡くなり、建物の全壊が4,041棟です。能登半島地震の被害が輪島市に大きく集中してしまっている現状があります。

輪島市の地図です。

~輪島市の社会福祉協議会を応援~

 東京維新の会では、地方議員の報酬20%~10%相当額(報酬額により変化)を集め、被災地支援として寄附等しています。能登半島地震発災直後の1月にも石川県赤十字社に500万円寄附をしました。発災4日後の1月5日には振込みを完了し、スピード重視で支援を実施しました。
 今回は、輪島市の被害が特に大きかったことを考慮して、2024年7月19日に、輪島市社会福祉協議会に500万円を寄附しつつ、有志議員で災害ボランティアに参加して参りました。

今回の被災地支援の特徴は、支援先を輪島市の社会福祉協議会に選んだことです。会報の2024年5月号でもご紹介しましたが、社会福祉協議会は、社会福祉法の規定に基づき設置された民間の団体で、災害時は、社会福祉協議会が災害ボランティアセンターを開設するケースが一般化しており、単に寄附だけでなく、実際に災害ボランティアセンターで活動の様子を拝見しつつ、自らも災害ボランティアとして参加することに大きな意義があると考え、支援先を輪島市の社会福祉協議会に選びました。

災害ボランティア前に、輪島市社協の久岡会長に寄附目録を贈呈しました。

災害ボランティア前に輪島社協の久岡会長に寄附目録を贈呈しました。

~身体を動かし災害ボランティアを体験~

町田市・相原駅から輪島市に到着するまでの道のり
 輪島市に到着するには、まず、相原駅から在来線と新幹線を利用して4時間ほどで金沢駅に入りました。さらに金沢駅から輪島市までその距離120㎞。約2時間、運転して向かう必要がありました。自分も車の運転をしましたが、輪島市に近づくにつれて段差や迂回路が増え、いたるところに緊急に補修した痕跡が見られました。家屋が破損してブルーシートで覆われている家屋も増えていきました。
到着したのは、ワイプラザというショッピングセンターです。市民生活を支えるスーパーは営業してましたが、家電量販店などは閉鎖していました。そのショッピングセンターの駐車場に仮設コンテナが置かれ、災害ボランティアセンターの事務所になっていました。

 

仮設住宅へ物資の搬入・倒壊しそうな納屋から災害ごみの搬出
 午前中のミッションは3日後にオープンする仮設住宅に、必要な物資を搬入することでした。布団、食器、掃除用具など、生活に最低限必要な物資を、入居者のニーズに合わせて配って回りました。その日は、雨のち曇りで陽射しはありませんでしたが、非常に蒸し暑く、熱中症に警戒をしながら作業を行いました。
仮設住宅にマットレスを運ぶ重太郎と仲間達

仮設住宅にマットレスを運ぶ重太郎と仲間達

 午後は、倒壊の危険がある農家の納屋に散乱した木材など災害ごみを、バケツリレー方式で外に搬出し、災害ごみとしてまとめました。「いつ倒壊するかも分からないので変な音が出たらすぐ納屋を出てください」と言われ、少し驚きましたが、率先して木材の運び出しを頑張りました。
納屋に散乱した木材などを運びました。

納屋に散乱した木材などを運びました。

おぜき重太郎
重太郎:短い時間でしたが、実際の災害現場の視察と、身体をつかった災害ボランティアをさせていただき、貴重な経験となりました。復興はまだ道半ばですが、一時よりボランティアの数が減ったとの声もあります。能登半島地震の復興状況を町田市民の皆様に知っていただくことは大切と思い、こちらの会報で報告させていただきました。
(町声レポート2024年6月号より 執筆者:おぜき重太郎)