二宮尊徳(金次郎)の研究(その2)

~二宮尊徳の生家を訪ねる~

 2023年11月14日、神奈川県小田原市にある尊徳記念館を立ち寄りました。二宮尊徳は小田原の栢山(かやま)村の生まれですが、なんと250年前の生家が残っているとのことでした。
二宮金次郎の生家(小田原市立報徳記念館)

二宮金次郎の生家(小田原市立尊徳記念館)

 尊徳記念館に入ると、実に立派な茅葺のお宅を見ることが出来ました。私は茨城の田舎で幼少期を過ごしており、その頃はまだ辛うじて藁葺きの家も点在してました。(さすがに今はないですが)引っ越しして来た時ににビックリした記憶があります。今改めて見て、その重厚なつくりと、歴史を感じました。家の中には農機具も置かれていました。

この生家ですが、資料によると二宮尊徳の祖父の銀右衛門が分家した時に建てられた(時期は不明ながら1742年頃?)ものだそうです。尊徳は16歳の時に一家離散をはじめ、並の人間では耐えられないような究極の困難を体験していますが、この一家離散の時に家は人手に渡り、別の場所に移築されていたものが元の場所に復元されたとのことでした。なお、この家が無くなってしまうと聞き、私財を投げうって買い戻した人物が、真珠王と呼ばれた御木本幸吉なんだそうです。ここにも一人、二宮尊徳の教えに魅せられた大経営者がいました。我が国においては経済だけでなく政治の世界でも未来への羅針盤が求められていると思います。いま改めて報徳仕法の研究を続けていきたいと思います。

重太郎、報徳記念館で薪を背負う

重太郎、尊徳記念館で薪を背負う

(町声レポート2023年11月号より 執筆者:おぜき重太郎)