~幸田露伴 原作 “二宮尊徳翁”を読む(その5)あばら屋に灯る希望の光~
◎【前回のあらすじ】
酒匂川の氾濫によって田畑を失い、父の死も重り金次郎一家はどん底の生活に陥ります。食べることにも困る有り様で、母は末の弟・富次郎を親類に預ける決断をします。しかし、金次郎は、自分が一生懸命働くから弟を家に戻して一緒に暮らしたいと懇願。母もその願いを受け入れて富次郎を連れ戻します。家は荒れ果てたあばら屋であっても、金次郎の心には家族が揃って暮らすことができる喜びと希望が満ち溢れていたのでした。
原文:可愛い我が子を懐に抱きて帰る荒屋に、いぶせき中にも親子四人まづ恙なく打揃ひ顔見合はすを楽みに、それより朝は朝未明、霧立ち迷ふ山に入り、薪を採りつ柴刈りつ、帰途は其れを売代なし、夜は夜半まで縄を索ひ草鞋作つて一寸の日影も惜しみ身を使ひ心を使ひ母の為、弟のためと先生は日毎に励み且は又、人と生まれて聖賢の道を知らずに過ぎなむは口惜しきことの限りなりと、僅に得たる大学の書を懐中に常離さず、薪伐る山路の往返歩みながらに読まれける心掛けこそ尊けれ
現代語訳:母が、可愛い我が子を懐に抱いて帰って来たあばら屋に、息苦しく狭い家の中でも、親子四人が無事に顔を合わせることができることを喜びとして、それからは、朝は霧が立ちこめる山に入って薪を採り、柴を刈り、帰り道にはそれを売って生活費に充て、夜は夜半まで縄をなって草鞋を作り、一寸の陽の光も惜しんで身も心も使い、先生は母や弟のために日々励みました。
そしてまた、「人として生まれながら聖賢の道を知らずに過ごすのは、何とも悔しいことだ」と思い、わずかに手に入れた『大学』の書を懐に入れて肌身離さず、薪を伐る山道の往復の途中でも歩きながら読み続けました。その心がけこそ尊いものです。
重太郎のコメント:現代では、子どもが働くことなど、とんでもない話です。しかし、江戸時代に生きていた金次郎は、家族のために働きながら、自分の成長のためにも学びを続けました。一人の地方議員として、子どもたちが不自由なく教育を受けられることの重要性を改めて感じます。また、忙しい日々の中でも自分を高める「学び」を続け、どんなに苦しい状況でも希望を捨てずに努力を惜しまない、そんな金次郎の生き方を見習いたいとも感じました。もちろん家族や支えてくれる皆さんあっての自分です。

(議会レポート2025年10月号より 執筆者:おぜき重太郎)

